サルベージ船「へすた」

色んな所に書き散らしたネタで気に入ってるのを再掲する方針

はっはっは何処へ行こうと言うのかね?終点が玉座の間とは上出来じゃな……あれ?……はっはっは終点が玉座の間とは……いやちょっと何処へ行ったと言うの だね?ねえ?ちょっとおわあ!ここ蚊が酷いよここ蚊が!うわあ虫が!虫が服の中に!ねえちょっとシータ何処だよ!ねえ?暗いんだよここ!シータが石持っ てっちゃうから明かりがないじゃんさあ!シータ聞いてる?うわあ虫噛んでる!痛い!痛い!ねえ出てきてよ一人やだよ!もうお兄ちゃんと呼ばせたりしないか らさあ!小僧でもいいから来てよねえ!シーターしーたあああぁあぁあ!(挨拶

へすちごちゃん
2010.2.24

ドラえもんと遠い記憶と生首のたたり

 

えー世間じゃあ最近はもうどこもかしこも夏ですな。
そんで夏ってなるとどうもどこもかしこも恐い話とかしたがるもんで、ありゃなんでしょうな、まあネットとかで揶揄される「人が死ぬ話で感動」とかの原点なのかもしれませんな。
あーあと映画等で「泣ける」とかいう宣伝文句は何なんでしょうな、あたしなんか泣ける泣けないより、おもしろい事が重要なんですがね。泣きてえってんだったらそこら辺の八百屋から玉葱を……
エ話がそれましたな、どーも落語のまくらっぽいのやろうとして大失敗です。へすちごですがいかがお過ごし?

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の代表作にその名もズバリ「怪談」ってのがありまして、その中に、戦に負けて捕まった武将がいざ首をはねられ るって時に敵側の領主に「貴様らを祟ってやる」と言った所、領主が「貴様が祟れるものか、祟るほどならはねた生首があまりの怨念に石にかじりついて離さな いだろうがお前にはできまい」って挑発する。かくして武将は首をはねられるんだが、そのはねた生首は物凄い形相で石に噛り付き、首切り場を跳ね回った。っ て話がある。(スゲーうろ覚えだがな)

その話を読んだ時、ふと五歳ごろの父親にかつがれた遠い記憶を思い出した。

あの時の僕は他の大体の子供と同じ様にドラえもんが大好きだった。
当時ドラえもんのアニメ放送は平日は六時五十分からの十分番組と日曜朝の三十分番組の二種類があった。当時の僕のイメージ的には平日はノーマルで日曜はデラックス版だった。
だが、五歳のあの日僕は寝坊して見逃してしまう。当時は当然ビデオなんてないから見逃した番組はそれっきり、二度と見る事はできない。
泣いた。
メチャクチャ泣いた。
起きた時には週一度の楽しみが消え失せていた。
自分のせいだとわかってはいたが当り散らした。
たまらないのは親の方だ。
どんなになだめてもこの爆弾は止まらない。
そこで父が口を開いた。
「わかった、一つだけ方法がある」
言うなり父は受話器をあげてジーコジーコとどこかへ電話をかける。そして二三言葉を交わしたあと、僕にこう言った。
「テレビへ電話をかけた、むこうで女の人が喋ってるからその後にドラえもんの再放送を頼むんだ」
僕は受話器を受け取り、電話の向こうの女の人に「ドラえもんをもう一回やってください」と頼んだ。
父は首を振って言った「それじゃあ駄目だ、いつの何チャンネルのドラえもんだかわからない、やり直しだ」
僕は女の人の声の後にもう一度「今日の朝10チャンでやっていたドラえもんをもう一回やってください」と言った。
父はまた首を振った。「それじゃあどこの家に再放送すればいいのかわからないよ。住所を言うんだ」
住所と放送時間とチャンネルと番組名か、僕は再挑戦した。「今日の朝10チャンでやっていたドラえもんを◯◯県◯◯市以下略の家でもう一回やってください」
父は言った。「遅い遅い、女の人がまたしゃべり出す前に全部言うんだ、もっと早口で」
頑張った。半狂乱で頑張った。早口にするあまり噛みまくった。女の人は僕の話を全く聞いておらず、十秒程で僕の話を遮って話し始めた。それが悔しくてさらに頑張った。後ろでは両親が大笑いしてた。

父がかけたテレビ局の番号は「117」だった。

根をあげた僕にかわって父が挑戦したが、二三言葉を交わしただけで受話器を置き、僕にこう言った。

「日曜日だから休みだわ」

母が大爆笑した。

さて、先ほどの怪談の結末だが、武将の断首が終わった後、家臣が怯えて領主に「あの武将は石に歯型が付くほど噛みついていた、これは祟りが怖ろし い」と言うと、領主は泰然として家臣に話す、「これで祟りの心配は無くなった」と。「あの武将は首を切られた瞬間にはもう当家への恨みなんて頭になく、石 に噛り付くことのみを考えていた。もうなんの心配もない」

父に日曜日は休みだと言われた僕も、その時には既に時報と言う石に噛りついた後で、「休みなら仕方ないかー」とドラえもん見逃した恨みなんてのはとっくに忘れちゃっていたのだ。

2010.8.17 へすちご